最近、TVドラマで泣く男を立て続けに見た。
昨日の「おっさんずラブ」での林遣都。
「宮本から君へ」の池松壮亮。
もう一つは、ブログにも書いた、石崎ひゅーいのPVの菅田将暉。
私の好きな俳優たちが、映像を通して、すべて女に振られて泣いている。
この3人はドラマや歌の設定で泣くシーンを演じていたのだけど、そもそも男の人って、本当にそんなに泣くの?
学生時代に演劇部だったので、芝居で泣く男は見た。しかし、社会に出て、現実の世界で私の前で泣く男を見たことがない。(あ、私がただ単に涙を見せる対象じゃないだけか、とここで気づく)
そもそも「泣く」ことの多くは、ある現象に対する可愛そうな自分がいて、ナルシストが極まった結果、号泣みたいな事なんじゃないか、と若いころ考えたことがある。その考えに至ってからは、自分に関することでは滅多に涙は出なくなった。
今では、泣くのがナルシストだからばかりではないとわかっているが、特に映画やドラマでお芝居を観ていて、役者が泣くシーンに出くわすと、今この俳優、どういう感情で泣いているんだろう、なんて余計なことを考えてしまい、自分で勝手に興ざめしてしまっている。
で、今回の3人。菅田君については、先のブログで触れたのでいいとして、「おっさんずラブ」の林遣都の目にたまった涙は切なかった。ぽろっと流れないのがいい。必至で堪えなければさらにカッコ悪い、男に惚れてかなわぬ恋と悟った涙。副音声のスペシャルトーク(田中圭×林遣都)では、田中圭にチワワみたい(にかわいい)、と言われてちょっとむくれていた林君だが、チワワ、わかる気がする。
そして、「宮本」の池松壮亮の、自分が情けなくてどうしようもない時の涙。惚れた女、そして自分を振った女の前で、こんなに泣くか?と思ったが、ここは「宮本」だから泣くんだろうな、と思うことにした。
つらつらとどうでもいいことを書いてきたが、ここぞのシーンで涙を目に湛えることなく、脳裏に焼き付くような顔(シーン)を遺した俳優として、映画「最後の忠臣蔵」の役所広司を思い出し、そして「おっさんずラブ」の吉田剛太郎も、涙をたたえることなく切ない乙女心を表現していることに気づく。どちらも、色気がある俳優さんだ。
”渋い”という言葉が似合う大人の男は、役の上でもたぶん容易に涙は見せないものなのだと思う。