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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

藤井風の「ガーデン」と父

藤井風の曲の中に、母や父を思い出す曲がある。

「死ぬのがいいわ」を聴くと母を。「ガーデン」は父を。

 

実家の裏庭には大きなイチジクの木があり、毎年たくさんの実をつける。夏の朝はカゴいっぱいのイチジクが台所に置いてあって、熟れた美味しそうなのを選びながら、無制限に食べていた。一家では食べきれず、夏の終わりにはイチジクジャムの瓶が何本もできていた。

今年、お盆を過ぎた頃から、父が「イチジクがカラスにやられて、一つもない」と何度も電話口で言う。寝たきりの母までも父から聞いたとおりに言う。「カラスにみーんな食べられたんよ」

食べ放題のイチジクを楽しみにしていた私は、いくらなんでもそんなに全部食べられるってことがある?と思い、先月帰省した際に裏庭に回ってみたのだが、なるほど実はほとんど見当たらなかった。ものすごーく高いところに1つあったかしらん。
しかし、カラスが食べたにしては、下に食べ残しのような実が全く落ちていない。
そして、高いところの実が残っているが、手が届く高さのところには全くない。

これは、とーちゃん、カラスだけのせいではないよ、きっと。

 

イチジクだけでなく、庭の柿の木も今年はだめらしい。
夫婦で食べるために作っているキュウリやトマトも、この夏はほぼ収穫がなかったようだ。母がデイサービスに行っている間、時間があれば父は畑に立って、野菜の世話をしていたのにな。「うちで採れたんよ。」と巨大なキュウリやナスを持って帰れと、昔はよく差し出してくれた。

何のことはない。ベテラン農家の父も、焼きが回ってきたのだ。

 

ここで、藤井風の「ガーデン」。(一部抜粋させていただきます)

  花は咲いては枯れ

  あなたに心奪われ

  それでも守り続けたくて

  私のガーデン 果てるまで

この繰り返されるフレーズが父の姿と重なり、何の前触れもなく勝手に涙が出てくる時がある。

母を施設に入れることを拒み、娘が誘っても同居を拒み、自分の城で自分のやりたいように、自分のペースで、母の介護をしながら過ごしている父。
自分ができるうちは、自分の力で立っていたい。父の最期のプライドのようなものを感じる。その生活も近年、傍目には半ば破綻しているんじゃね?と思えるのだけれど。

老いていく父。

弱くなっていく父。

なんでも器用にできた父だったのに。

実際は、人の言うことなどほとんど聞かない頑固おやじで手に負えないけれど、「ガーデン」を聴くと、私の中で勝手に美化されている、父の美しい面を思いだす。

 

 

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