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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「太陽がいっぱい」(1960年):二枚目だけではない!アラン・ドロンが上手すぎる

自分が生まれる前に公開された作品だが、ここ数年で観た映画の中で1番だった!

最近アラン・ドロンにはまっているという映画好きの同僚に勧められて観たわけだが、アラン・ドロンの二枚目ぶりより彼の演技の上手さに驚き、感動した。
同時に、観る者をハラハラさせる、稚拙な犯罪隠ぺいシーンの演出、青一色の海の色と容赦のない太陽の光。そして印象深い音楽。どれもが一級品。

ラスト驚愕の露見と、大ラスのアラン・ドロンの希望に満ちた笑みの物凄い対比は、いつまでも頭に残る。

 

イタリアで放蕩暮らしをする息子フィリップ(モーリス・ロネ)を連れ戻すことを、父親から請け負ったアメリカ人青年、トム・リプリー(アラン・ドロン)。ところが、フィリップにはアメリカに帰国する気は全くなく、恋人のマルジュ(マリー・ラフォレ)や金持ち仲間との放蕩生活を続け、トムはそれに付き合うことになる。そのうち、トムはフィリップの父親から解雇されることになり、あてにしていた報酬もなくなり・・・。

若くてハンサム、貧しくて野心家のトムだけれど、殺人を犯すような根っからの悪人ではないだろう。いったいいつから彼は、フィリップを殺して彼の財産を手にしようと思ったのだろうと、もう一度最初から鑑賞しなおした。

冒頭しばらくはフィリップとトム、歳の近い若者二人が、金に任せて傲慢に遊ぶ様子が描かれる。その様は、金持ちのガキ大将にくっついて、おこぼれにあずかろうとする、中高校生男子同士の悪ふざけようだ。出自の卑しいトムがフィリップのモノや金、境遇そのものが、欲しくて欲しくてたまらないことが至るシーンで描かれている。
ナンパした中年女性への口づけも、マルジュとフィリップの愛の巣も、マルジュその人も、フィリップが財力と気ままに任せて手にしたものを同じ年ごろの青年として、トムは欲しくてたまらない。妬みとか怒りなどというより、ただ、年頃の青年として、金、洒落た服、美しい女、それらを自分のものにしたいという純粋な欲求のように私には思えた。

あんなにハンサムなアラン・ドロンが、人の金をあてにして、口先三寸の太鼓持ちを全身で演じており、トムは本当に狡猾で卑しい人物に見えてくる。

フィリップを殺すことにしたのは、フィリップの悪ふざけで海上で死にかけたこともそうだが、彼にその心を見透かされ、まるで自分を殺すことを提案するかのようなフィリップの詮索がきっかけなのではないかと思える。そしてその機会が突然やってきただけだ。

トムは、フィリップの殺人を機に、彼の友人フレディも殺すことになるのだが、死体始末の奮闘ぶりがすさまじく、俳優にとことんリアルに死体処理・死体運びをやらせた(本当の死体ではない!)と思われるシーンに、こちらはドキドキハラハラさせられた。荒れた海を高速で進む船上でカンカンとなる鐘、死んだフレディを運ぶ時、階段手摺から見えるフレディの揺れる手、視覚から脳みそと心臓に、緊張と可笑しみが同時に入ってきた!それらのシーンのアラン・ドロンの表情も素晴らしかった。

 

映画好きが本作を観ていないとは思わないが、もし観ていないなら、絶対観るべき!

そして、今日本で活躍している若手俳優さんにも絶対観てほしい。
慌てて逃げる時の後姿はやはりああだろうなと思ったし、絶対的ピンチの時にひきつる顔面をリアルに見せてくれた。そして、ラストシーンの能天気とも思える自信に満ちた笑み!

アラン・ドロンはまったくもって二枚目だけではない、演技達者な素晴らしい俳優だった!
彼は、娯楽映画にも芸術的な映画にもたくさん出演している。

今さら彼の作品を掘り起こすのも大変だろうけれど、チャンスある限り観ようと思う。

 

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