"泣く力"について。
今日の昼頃、HHKの番組「お部屋でSING―リトグリ歌唱曲と新曲」をたまたま見た。
「リトルグリーンモンスター」という4人の圧倒的歌唱力をもつ女の子たちが、別々の部屋でハーモニーを奏でるライブ番組。
お天気の良い絶好の行楽日和に、家にいなくてはならない多くの人のために、一緒にいなくても、一つの曲を奏でることはできる、と多くのアーティストたちが動画を通じて発信していることを、テレビで実証してくれた。
彼女たちの声に単純に聞き惚れたかっただけなのだけれど、図らずも聴きながら泣けてきた。
それで思った。ああ、これは私にとって志村けんさんが亡くなった時と同じ現象だと。きっかけはまるで違うけど、ずっと家にいる日常と、それ纏わる賛否についての議論(先日友人との電話で)、先週感じた自宅での仕事の効率が落ちたと感じたこと、などなど。終わりが見えない停滞感、終わった後どのようにこの数ヶ月間を取り戻せるのか、今のわたしにはヒントさえ浮かばない。
それでも表面的には家族のために食事をつくり、たまに工夫したり、季節の衣替えや掃除に勤しんだりと、わりと明るくやっている。しかし、前述の蓋をしていた漠然とした不安やネガティブな思考が心の専用容器に満タンになろうとする頃、何かしらが心の琴線にふれたのをきっかけに涙が溢れ、同時にネガティブな不安も少し押し流してくれるのだ。
泣いた後はスッキリするものだ。
こうして泣くことで、ひとつ気持ちをリセットするのも、ある意味能力だと思う。
そんなに特殊な能力とは思わないけど、ふと気になったのは、家にいるツレが泣いたのを見たことがないこと。母親が亡くなった時も涙を見なかった。
まあ、人それぞれ気持ちのリセットの仕方はあるだろうから、大きなお世話というものか。