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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「熱帯樹」-3 (BSプレミアム/2019年 世田谷パブリックシアター)

劇場で観られないとわかって数多の感想や劇評を読んだおかげで、すっかり観た気になっていた本作。BSプレミアムで映像化された舞台をやっと観賞できた。

 

三島由紀夫がフランスで起こった事件を元に、ある資産家家族の悲劇を父親(鶴見辰吾)、母親(中嶋朋子)、兄(林遣都)、妹(岡本玲)、父の従姉(栗田桃子)の5人の登場人物で描いた本作。初演は1960年。

父親は異常なまでに資産を守ることに執着し、夫に娘のように着飾って美しくいることだけを命じられている母親は、己の自由の代わりに思い通りになる息子を操る。

そして病の床にあり死期の近い妹は、死への恐怖を母親を憎むことにすり替え正気を保っている。憎む対象の母親の慰みの相手に兄がならないよう、兄に母親殺しを懇願する様は、若くして死ぬ恐怖と恍惚に囚われた狂気としか映らず、岡本玲(妹)の全身から出る凄まじい力が、逆に生への執着を物語る。妹の母親を殺す動機は、母親が財産を目当てに父親を殺そうとしているからということらしいが、母親殺しを頼まれた兄に到底母親は殺せず、もちろん母親が頼んだ父親殺しも彼は実行できない。そんな度胸はこの兄にはない。

なにせ兄(林遣都)はときたら、母親と妹の異常な要求に翻弄され、怯え、弱々しく、とにかく可愛そうにしか見えないのだから。彼の"(無駄に)広い肩"とは、台詞のなかで何回か出てくるのだが、見た目は一人前の男だが、その繊細さと優柔不断さで、家族3人から哀れまれ利用されるのだ。この兄だけは心の底で何を欲しているのか、最後までつかめない。

 

母と兄が(精神的に)姦通したことを詳細に話す場面の中嶋朋子(母)が素晴らしかった。母親の首を絞めに寝室に入った兄の表情、手の動き、横たわった母の顔、喉元の様、彼女の台詞から観客はまるでそのシーンを見ているように、兄(林遣都)の様を頭に描く。シーンとしては存在しないのに、最も印象に残ったくらいだ。母親がはだけた胸に顔をうずめる兄(男子)の、母の愛情を求める無垢で美しい様が脳裏に浮かんだ。

中嶋朋子、凄すぎる。

しかし待てよ、彼女の台詞から想像して描いたのは、兄(林遣都)の姿だ。つまり、そこに至るまでの林遣都の兄が実際にそのシーンを演じていなくても観客に姿を想像させるまで、兄という人物のすべてを確立していたということではないか。

遣都のうずくまり丸まった背中、白い足首、妹に助けを乞うような抱擁。

兄が心から欲していたのは、母親の愛ではなかったか。息子としてそれが得られず、代わりに妹を愛した…。

 

この家族の悲劇の元凶である父親(鶴見辰吾)が語る台詞が、一番常識的に思えたのはなんだろう。確固たる動かぬ意思、腹黒くて人間らしい欲の塊のような存在。ほか3人の狂気をはらんだ危うい空気から一つ抜けたような鶴見辰吾の演技で、一息つけたのは事実。

 

漆黒の舞台に、上部を斜めに切った間仕切り、その上部が光り闇の中で線となり、その線が空間を変えていく。時に役者が間仕切りを動かし場面を転換する。シアタートラムという比較的小さな劇場ならではのシンプルな装置が面白かった。(主に転換していたのは林遣都と栗田桃子さんだった気がする。)