Xを見ていた時に偶然流れてきた文章。備忘録の意味もあり、書き留めておく。
「他人ってガッカリさせていいのよ。
自分のやりたいことを貫けば
どこかの誰かはガッカリするものよ。
1番モノのわかった人はガッカリしない。
2番目にモノのわかった人は、ガッカリしても言わない。
1番わかっていない人が、「君にはガッカリした」とわざわざ言いに来るの。
気にする価値なし!」
精神科医Tomyさんの著書「1秒で不安が吹き飛ぶ言葉」の中にあるらしい。
「自分のやりたいことを貫けば、どこかの誰かはガッカリするもの・・」という一文に、自分の娘が重なった。
娘は自分のやりたいことを確かに貫いている。ハイティーンの頃から、私たちが何を言おうとそれに従ったことはほぼない。勝手に娘に期待しては、勝手にがっかりしてきたことの多かった私。それを本人に言ったことはないと思うけれど、ひょっとして態度に出てしまっていたことはあるのではないか。私は、どう考えてもここにある「1番モノのわかった人はガッカリしない」人ではない。せめて2番目にモノのわかった人であっただろうかと反省した。
そして再びはっとする。
私は、常日頃から人に期待させておいてガッカリさせるのは最も避けたいことだと思っている。だからつい身近な人にも、その人が喜ぶようなことを言ったり、楽しいことを一緒にしようと持ち掛けたりしておいて、簡単にそれを反故にするような言動は良くないと言っている。相手が勝手に期待した、という言い訳もあるかもしれないが、期待させる言動があったのではないかと自分に問うべきと思う。
この私の信条の一つは、今回の文章の「他人ってガッカリさせていいのよ」に相反するものなのだろうか?
だとすれば、他人の期待を裏切ってはいけない、という信条を私自身に課すのは勝手だが、他人に求めるのは考えものだ。
と書きながら、いやいや待てよ。
条件が違うではないか。Tomyさんの言葉は、「自分のやりたいことを貫いた結果、他人をガッカリさせることがある」というものだが、私のは「人にこちらから期待させておいて、(自分の準備不足や考えたらずで)ガッカリさせる」というものだ。この考えには広がりがあって、自分自身をもガッカリさせないようにする、という意味もある。
例えば何かを始めようとか、どこかに出かけようとか考えて、ちょっとワクワクしたのに、勇気がなかったり寝坊したりしてそれを実現することができなかった時など、あーあ、とガッカリしてしまうではないか。それをなるべく避けたほうが、人生における成功体験は増えるのではないかと思うのだ。(大げさ??)
言い方を変えると「やろうと思ったことは実行する(実行してみる)こと」ということに他ならない。
ということで、私の信条については、ことさら大げさに考えて「ガッカリした」と相手や自分を責めることのないようにという注釈をつけつつ、この考えはセーフよね、と自問自答した次第。(この場合、相手というのは主に家族のこと)
それにしても、Tomyさんの「自分のやりたいことを貫いて、他人をガッカリさせてしまう」については、ガッカリするほうが見当違いであるということを、肝に銘じようと思った。
ちょうど、娘の成人式の前撮りにつき合った週末の気づきだった。