躁鬱病の鬱が原因で過眠症の寧子(趣里)の、圧倒的な無茶苦茶ぶりにハラハラしたり、痛いほど寂しい彼女を応援したり、なんだか息もつけない展開だった。
”自分”が強すぎて自身さえも”自分”と折り合えない。強烈な自分が出てコントロールできなくなった時は最終的に走りだすことでその場から物理的に離れる。あるいは着ているものをすべて脱ぎ捨てて全裸になって、本当の自分だけになってそれと対峙する。
寧子の台詞に「生きているだけで、疲れる」「私は自分と別れられない。津奈木(同棲中の彼:菅田将暉)はいいなあ、私と別れられて」という台詞がある。切なくて心に残る台詞、シーンだった。
そんな寧子に、本心からの言葉を発することもなく、ただ彼女の癇癪的な言動に対して当たり障りのない言葉と態度で応じながら、3年間一緒に暮らしている津奈木という男。菅田将暉が優しいんだか、冷たいのだかわからない青白い顔のゴシップ雑誌のライターの青年を見事な”受け”芝居で存在させた。
本当は文学小説家を目指していたのに、入った出版社でゴシップ雑誌のライターに甘んじ、やりがいもなくただ忘れられるための記事を大量に書き続ける毎日。家に帰れば惰眠をむさぼる鬱の彼女。でも津奈木は、決して自分にウソをつかない、全力で自分を表現し、相手にも自分への理解と自分を表現することを求める寧子の生き方の断片が必要だったのではないか。
この作品で趣里は、日本アカデミー賞新人賞の他いくつか受賞している。受賞に恥じない、圧巻の演技。華奢な体ゆえにヌードに全くいやらしさがなく、役柄も相まって人間離れしていて妖精のようだった。
そして、今回添え物のようなポジションだった菅田将暉の、”菅田将暉劇場”を封印した佇まいもいい。けっこう小汚ない感じの菅田くん。映画出演初期の頃の「共喰い」や「そこのみて光輝く」とかもそうだったなーと改めて思った。